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蝉の灯

昨日も今日も夕立ちがありました。
昨日のは雷も雨も大したことは無くて、気温もさほど下がらず・・・
しかし今日のは本格的。
巻いた風も伴い、これを境にガクンと気温が低下、
27℃から一気に18℃まで急降下しました。

虫の声も雨の前はセミ、後はコオロギ。
胸騒ぎのように何かがゆらぐ感じがしましたが、季節だけでしょうか?

セミといえば子供の頃には、常にはかないものと教わりました。
当時から土の中で他の昆虫よりずっと長い幼虫期間を
過ごしていることは知っていましたが、
それでも陽の光の下で歌う時間の短さには「はかない」という表現も
また説得力があると感じていました。

ある友人は学校でセミの詩を綴りました。
彼は、セミは灯を持っているようだと書いています。
土の中で何年も何年も小さな灯を大切に灯し続け、やがて地上に出た時
その灯を花火の様に燃やすのだと・・・
その日の帰り道はセミの声が花火のはじけて燃える音に聞こえ、
稲荷神社の森を見上げたとき、ついに圧倒的な蝉時雨は
真昼の日射しのハレーションとひとつになりました。
今でも忘れられない「蝉の灯」の記憶です。

その数日後、同じ稲荷神社の地面には沢山のアブラゼミが落ちていました。
「燃え尽きた花火?・・・」
死んでしまったものも多かったのですが、中には触れると
「ビビィーッ!!」と声をあげるのもいて、こちらの方が驚いてしまいます。
こういうセミは、どういう気持ちで落ちているのだろうと考えました。
今振り返って言葉にするなら、
「生きていること」と「生命があること」のズレを感じたのかも知れません。

傍らにはアリが解体して運んでいる姿も見られました。
よく見ると、セミのお腹の中が空っぽ!
空蝉という言葉がありますが、セミは羽化の時だけでなく
死んだときも抜け殻になるのかとショックを覚えました。
当時は声を響鳴させるため空洞がどうのこうのなんて知りませんから・・・
鳴けるのに落ちている蝉は魂の脱皮中なんだと妙に納得したものです。

しかし魂の抜け殻はセミだけに見られるものではないようですね。
私も時々危なっかしくなりますが、忘れてはいけないのは
セミは成すべきを成し遂げて二度目の抜け殻になるということ。
「生命の有る無し」は神様の範疇ですが、
「生きる」は己の意思による極めて能動的なものなのですよね。

Seminohi

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